愛の讃歌ほど世代とジャンルを越えて親しまれている曲は少ないのではないでしょうか。何の解説も解釈もいらない曲です。 ストリングスを中心とするオーケストラ演奏はもとより、ピアノやヴァイオリンのソロ演奏でも、甘美で優しいメロディーに身も心も暖かい温もりに包まれていきます。 ところが、作詞したピアフの歌になると、一変します。絶叫に近いと言えるほどの歌い方です。 愛を訴えると言った方がいいでしょうか。愛する人への気持ちがストレートに伝わってきます。 一方で、越路吹雪が歌う岩谷時子訳詞は、人を愛する想いと愛しさが、聴く者にクレッシェンド的に伝わっていきます。 決して絶叫調にはなりません。じわりじわりと、心に温かくいっぱいに満ちていきます。訳詞で曲相が大きく変わるのです。 永田文夫を筆頭とする直訳に近い訳詞でも、ピアフほどの絶叫調で歌う人は少ないようです。 しかし、同傾向で歌う人は少なくありません。興味深いのは、その傾向で歌ってきた人たちが、後年になると岩谷時子の訳詞で歌うようになるのです。 代表が岸洋子です。最初は永田文夫の訳詞で歌っていました。後年は岩谷時子の訳詞で歌うようになります。 実は、岩谷時子の訳詩は原詩とは大分違うのです。どうぞ、永田文夫の訳詞と比べて見て下さい。 愛を文章で表わすことの、難しさ深さを考えさせられます。まして、訳詞ですから制約があります。さらに、作詞家と訳詞家の根本の違いもあるかも知れません。 ちなみに、絶叫型の日本代表は美輪明宏です。聴き比べて下さい。歌手の解釈の違いがさらに歌の世界を広げます。 永田文夫の訳詞を再度紹介しておきます。 空がくずれ落ちて 大地がこわれても 恐れはしないわ どんなことでも 愛が続く限り かたく抱きしめてね 何もいらないわ あなたのほかには 世界のはてまで 私は行くわ おのぞみならば かがやく宝 ぬすんでくるは おのぞみならば 祖国や友を うらぎりましょう おのぞみならば あなたのために 何でもするは おのぞみならば もしもいつの日にか あなたが死んだとて 嘆きはしないは 私もともに とわのあの世へ行き 空の星の上で ただふたりだけで 愛を語りましょう ラララー ラララ ララ 愛を語りましょう |