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      3、待ち伏せ

 「若先生、よろしくお願いします」

 お米はさっと手を出した。太吉は店の中を見た。誰も見ていない。確認すると手をつないで表に出た。

「若先生、もっとゆっくり歩いて下さい。すぐ着いちゃうじゃないですか」

 言いながら、あっと口を押えた。太吉は聞こえないふりをした。半年に一回ぐらいだが何度も送っている。

「お米ちゃん、足元気を付けてね」

「あっ、暖簾しまうの忘れてた。ちょっと言って来ます」

 店を出て10間(18m)ほどの所である。急いで戻った。丁度、辰吉が仕舞うところだった。

「ごめんなさい!私やります」

「良いんだよ。早く戻んな。せっかくの闇夜だぜ」

「嫌らしい!何考えてんの」

「お米ちゃんと同じだよ」

 お米は返答が出来なかった。黙ってくるりと向き直り、太吉の所まで戻った。闇夜とは言え通り慣れた道である。

「若先生、大丈夫でした。提灯、あたしが持ちます」

「良いよ、私が持つ」

「いいえ、あたしの手を持ってください」

  暗くて相手の表情は見えない。声は小さくて恥ずかしそうだった。

 お米は提灯を右手に、左手を太吉と繋いだ。太吉の右側をお米が歩いた。その先を右へ曲がると後は真っすぐだ。

 曲がった途端、

「ちょっと待て」

 二人組の男が呼び止めた。

 太吉は、提灯をさっと照らすと消し、お米の手を離してお米の前に出た。

「金を出せ」

 手前の男が低い声で言う。顔はわからないが聞いたような気がする。後ろの男からは殺気が伝わって来ない。

 ふっと思い出した。太吉は懐から財布を取り出し渡した。お米はがっかりした。簡単に渡したからである。

「無くなったら又来るが良い」

 手前の男が財布を受け取ると、

「すまぬ」

 ともう一人の男がためらいがちに言い、二人は体をひるがえして足早に去って行った。太吉はお米に、

「さ、帰ろう」

「いえ、あたし一人で帰ります」

「長屋まで送るよ」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 言い終わるとさっさと歩き始めた。太吉はその後から付いて行った。

 お米が長屋に入るのを見届けると、そのまま少しの間立っていたが帰って行った。

 お米は部屋に上がらず、上がり框に座るとじっと座っていた。何だか悲しかった。



「簡単だったな。侍のようだったが腰抜けだな」

「そう見えたか、見えたかとはなぞかけのようだが、気付かなかったのか?」

「まだ抜く前のことだ。臆病な奴だぜ。しかし、2両3分とは良く持っていたな」

「片腕一刀流の師範代だ。当然だろう」

「なに!師範代だと?一向に気がつかなかったが…そう言えば怖がる様子はなかったな」

「おぬしはいつわかった?」

「提灯でわしらを照らした時だ。照らしながら自分も照らしていた」

「おぬし、良くぞ恨みを晴らさなかったな」

「いや、そのまま抜いていたら、今頃我らは無事では済まない」

「無くなったらまた来るが良いとは、生半言えることではない。おぬし気がつかなくて幸いだった」

「……」

 もう一人の男は無口になった。



 お米は後悔していた。せっかく一緒に帰れたものを自分から一人で帰ってしまった。

 若先生の情けない態度を見てしまった。相手が二人ずれとは言え、何の応戦することもなくすぐに財布を渡した。

 みんなが、若先生若先生と言い、敬っているし自分もこの店に勤めて以来ずっと尊敬して来た。

 いつも静かで言葉少なであるが、実のある人だと思ってきた。師範代であるのに奢った素振りは微塵もなかった。

 お米は、いつの間にか尊敬が恋心に変わっていた。人にわからぬよう心に秘めていた。毎日が苦しかった。

 今夜は嬉しかった。思い切って手も握った。ちゃんと握り返してくれた。顔には出さぬが心はどきどきしていた。

 闇夜のおかげだった。いつもよりゆっくり歩いた。若先生もお米に合わせてくれた。

 それがなに、あの情けない態度。金を出せと言われたら何の抵抗もせず、即座に財布を出した。

 若先生が二人を懲らしめてくれると思っていた。二人か勝ち誇ったかのように踵を返し立ち去った。

 みんな騙されている。若先生が強いと思っている。本当は弱くてだらしないんだ。見損なったわ。

 お米は思い出すほどにせつなくなってきた。いいわ、私が守ってあげる。みんなには内緒にしておくわ。

 手の温もりを思い出すように、握っていた左手を右手で触ってみた。柔らかい若先生の手が思い出された。

 また、せつなくなってきた。誰が何と言おうと若先生はあたしが守って上げる。お米はなかなか眠れなかった。

 次の日お店に出ると、辰吉がにやにやと下を見ながら笑っている。思わず、

「何よ!笑ってんのよ。男はへらへらしないものよ」

「へらへらなんかしてないさ。お米ちゃんは今日も元気だなと思っていただけだよ」

「それがへらへらと言うの。男は黙って無口に仕事するの」

「若先生みたいにか?」

 そう言い返されて、昨夜のことを思い出した。若先生は無口だが、強くて立派な人だと思っている。

 知っているのはあたしだけ。若先生かわいそう。本当は弱いから、いつも辛い思いをしているんだわ。

 客が入って来た。これから混んでくる。半刻もすれば若先生もやって来る。あたしが守ってあげる。

 お米は今日から強くなった。若先生のために強くなると決心した。心身が引き締まる思いだ。
                      つづく
次回4回は7月20日火曜日朝10時に掲載します