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      2.闇夜

 「おめえ、ついてたな」

「当た棒よ。おめえと違って、おらあー善行をつんでるからな!」

「善行だと!馬鹿抜かせ、線香の間違いだろう。線香なら俺だって毎朝毎晩欠かさずつんでらあ。仏さまによう!

「そうかい、立派なことだ。仏さまはお待ちになってらっしゃる。早く行ってあげな。おめえの線香は俺があげてやる」

「ありがとよ。折角話してやろうと思ったがもう止めた。あほらし。もう話してやんねえ」

「あっ、すまん、謝る。そんなつもりはなかったんだよ。つい言葉の弾みだ。さ、飲んでくれ。今日は俺のおごりだ」

「そうか、おめえのおごりか。そこまで言うには、話さねえわけにはいかねえな」

「さ、飲んでくれ。で、どうだったんだ」

「昼時を過ぎて、野暮用で近くまで来たら、道場の周りに人が集まってる。ひょっとしたらと思ったらそうだった」

「まだるっこいな。そいで?」

「窓から覗いたんだよ。見るからに強そうな侍が二人。威張ってる。いや浪人だろうな。偉そうに若先生に喚いてる」

「二人とは珍しいな」

「そうなんだよ。どうするのかなと思ったら」

「片腕先生が二人一緒でも良いとおっしゃる。二人は大声になり何か喚いていたが、強そうな方の侍が木刀を構えた」

「一人だけか?」

「そうだ。しかし、わからないものだな。先生と暫く構え合っていたが、参りましたと木刀を引いて後ろに下がった」

「なにもしなくてか?」

「そうだ。そして、もう一人の侍に待てと手を上げて制止した。しかし、もう一人は構わず立ち向かって行った」

「わからないな。何もしないのに参りましたと言ったのか?」

「この後だ。もう一人が立ち向かったと思ったら、即座に鈍い音がして、その男は木刀を落としていた」

 その時、店の引き戸が開いた。二人は話を止め咄嗟に立ち上がり、

「若先生!お待ちしてました。さ、どうぞこちらへ」

 太吉が無腰で入って来た。その言葉が聞こえなかったのか、いつもの席に座った。そこへ二人は駆け寄った。

「若先生!道場破り来ましたね。さ、どうぞ一杯やっておくんなせえ」

 徳利を手に持ち、ぐい吞みを差し出した。そこへお米が出て来た。

「若先生はお疲れですよ。自分の席で飲みなさいよ!」

 言いながらお米は、太吉ににっこりと愛想笑いをして、

「お疲れさまでした。今日はどじょうが入ってます。鍋はいかがですか?」

「おっ、良いね。そうして貰おうか。それと冷で一本付けてくれ。それと若先生は止めてくれ」

「若先生、私だけ太吉さんと呼んでいたんですよ。みんな変に思ってましたよ」

 この店にも弟子が出入りする。自然とみんなが若先生と呼ぶようになった。

「そうか、お米ちゃんにはそう呼ばれたくなかったな」

「どうしてですか?」

「うん、どうしてかな。ま、良いや。冷酒を先に頼む」

 お米はこの店に16歳の時から勤め始めた。ほっぺが赤く、愛くるしい顔に似合わずはっきりした物言いをした。

 それから5年。澄んだ切れ長の目に濃い眉、鼻筋が通り小さめの口。初めての客はぼーっと見とれた。

 お米は「はい」と嬉しそうに板場に戻って行った。


「おい、さっきの続き話してくれ。木刀落としてどうなったんだよ」

「いつもの通りだよ。左手の手首の真ん中で折れていたんだよ。そいつは痛さ忘れて茫然と突っ立っていたよ」

「そうだったな。先生がどう動いたか、そいつには見えなかったんだろう」

「先生は構えたままなんだよな。遠くで分からないのだから目の前じゃ見えないだろうな」

「若先生も凄いのだろうな。師範代だからな。しかし、歳は俺たちとあまり変わらないぜ。23歳だってな」

「大工仲間の弟子が言ってたぜ」

「弟子は侍より大工などの職人や町人が多いんだってな」

「だからよお、俺も入門しようかと思ってる」

「俺もそうする」

「そうか、じゃ、これから若先生にお願いに行こう」



 板場に戻ったお米はすぐに戻って来た。

「どうぞ、それからこれ、おやじさんからです」

「おっ、いかの塩辛!冷酒にぴったりだ。ありがとう。おやじさんによろしく言ってくれ」

 言いながらお猪口の酒をぐっと飲んだ。続いて、いかの塩辛を口に入れる。

 旨い!手酌をしようとすると、お米がさっと注いでくれた。太吉は嬉しそうに又飲み干した。

 そばでいつの間にか、大工の留蔵と伝助がにやにやしながら見ている。太吉は二人を見て、

「どうした?何か用か?」

「若先生、何か用かじゃありません。あんまりお熱いので用を忘れてしまいやした。なあ、伝助。何だったかなあ」

「うん、何だったかなあ!忘れた。またにしようか?」

「いや、思い出した。若先生、あっしらも入門したいのですが、お願い出来ますか?」

 留蔵が言う。今年23歳になる。

「ほう、入門?どう言う風の吹き回しかな?」

「先生、からかわないで下せえ。あっしら真剣ですぜ」

「すまんすまん、しかし、痛いぞ。我慢できるかな」

「へえ、痛いのにゃ、慣れております。いつも親方に殴られておりますから」

 合いの手を出すように伝助が言葉を続ける。

「あっしなんざ、殴られた上に蹴飛ばされていますよ」

 さも自慢そうに言う。留蔵と同い年だ。

「仕事はどうする?」

「へえ、十日に一度の休みがあります。その日ではだめでしょうか?」

「今度はいつだ?」

「明日です。よろしくお願げえしやす」

「ほう、都合が良いようだな。ははは」

「ほんとですよ。だから、今日はこうしてこいつと飲んでいやす。な、伝助!」

「では、明日5つ(8時)に道場に来るんだな」

「へえ、何か用意していくものありますか?」

「手ぬぐいは持って来ることだ。稽古着などはこちらで用意して置こう」」

「ありがとうございます。よろしくおねげえしやす」

 留蔵と伝助は自分の席へ戻って行った。それから4半刻程飲んでいたが明日がありますと挨拶して帰って行った。

 竹蔵は珍しく店に残っていた。刻は宵5つを4半刻程過ぎた。(宵4つ=21時)

「辰、火を落として終いにしろ」

「へい、おやじさん、まだ少し早いですが…」

 戸惑ったように板前の辰吉は言う。店には若先生が残っている。他に客が一人。

 その客も聞こえていたかのように帰って行った。店は若先生一人だけになり、お米は何だかどきどきしてきた。

 若先生の太吉はお茶漬けを食べ終わり、背伸びをした。ほろ酔いの身体が伸びて気持ちが良かった。

「あら、若先生!眠いのですか?」

「いや、元気が余ってるのだ」

 それを見ていた竹蔵が、

「若先生、その余った元気でお米を送ってくれませんか?今夜は闇夜で物騒です」

「そうだ今夜は闇夜だ。気を付けた方が良い。わかった。送って行こう」

 言いながら、嬉しかった。顔に出さぬように無表情を心掛けたが、心は正直だ。顔はほくそ笑んでいた。

 お米は、今帰った客の後片付けをしていた。竹蔵はにっこり笑いながら、

「お米、それ片付いたら帰っていいぞ」

「まだ早いですが…」

「今夜は闇夜で物騒だ。早く帰りな。今聞いていたと思うが若先生がお送り下さるそうだ」
                      つづく
次回3回は7月6日火曜日朝10時に掲載します