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    護り屋異聞記 30.最終回


 が過ぎて春が来た。早苗は、日中一人になるのが耐え難かった。谷崎の単衣と浴衣がそれぞれ2枚目になった。

 そんなある日ふと気付いた。月のものが10日も遅れている。まさか?そのまさかだった。

「おっ、見事な鯛じゃないか。わしのは一段と大きいのう!何か良いことがあったかな?」

「はい、ございました。当ててご覧なさいませ」

「富くじにでも当たったかな?」

「買ったことはありません。あなたが一番喜ぶことです」

「ほう!わしが喜ぶこと?それは早苗が喜ぶことだ」

「まあー、ずるいです。ちゃんとお考えになって下さい」

「腹が減ったな。うまいものを見せられると我慢がならぬ。飯にしてくれ!」

「駄目です!ちゃんとおっしゃって下さい」

「そんな殺生な。食べて落ち着いたら、考えも浮かぶと言うものだ。まずは飯にしてくれ」

「いけません!ちょっとこちらへ来て下さい」

 谷崎はしぶしぶ立ち上がり早苗のそばに行く。

「ここにお耳を付けて下さい」

「まだ明るいぞ。早過ぎないか?」

「まっ、何を勘違いしてらっしゃるのですか?」

「膝枕は良い気持ちだな」

「いいえ、お腹に耳を付けて下さい」

「何も聞こえないぞ」

「やっぱり、聞こえませんか?」

「お腹の調子でもわるいのか?」

「違います!お子が出来たのです」

 谷崎は耳をしっかり早苗のお腹に付けた。まだ妊娠の兆候があったばかりである。聞こえるはずがない。

「でも、まだ聞こえるはずがありませんね。嬉しくて試して貰いたかったのです」

「早苗、でかしたぞ」

 谷崎は両手でお腹をさすり始めた。

「くすぐったいですよ。もう、ご飯にしましょう」

「いや、飯は後で良い。このまま撫でさせてくれ」

「いいえ、お味噌汁が冷めます。起きて下さい」

「つまらんやつだな。わしはご褒美がしたいだけじゃ」

「あら?それってご褒美なんですか?」

「…いや、わしへの褒美だった…すまん、飯にしよう」



 冬が来て1月の半ば。早苗は玉のようなを子を生んだ。女の子だった。名を美鈴と付けた。谷崎が命名した。

 喜びが続いた。春になると谷崎は辺見より師範を言い渡された。門下生が百二十名になっていた。

 その中に護り屋の訓練生が12人いた。実戦向きの厳しい稽古であった。中庭の高い塀に囲われた戸外で行った。

 谷崎が専任し、関口柔心の流れをくむ体術も教えた。素手で殴り合い、地面に投げつけられ生傷が絶えなかった。

 それでも辞める者は一人もいなかった。護り人の誇りに燃えていた。又、剣術の他に体術を同時に学べたからである。

 午前中の門下生は、師範代の太吉と序列3位の勝三が受け持った。太吉の理路整然と理屈を加えた指導は人気があった。

 午後からは中堅以上の門下生の指導である。谷崎の指導を受けたくて入門した者ばかりである。理由があった。

 巷では片腕先生と呼ばれて大変な人気である。人望はもちろんであるが、片腕による剣の技と速さにあった。

 両手で振り回すより、片手ではさらに自由に振り回せる。それは剣の速さを加速した。

 江戸時代は刀身2尺以上の刀は武士しか持てなかった。町人や農民は身を護る為の道中差しとして4寸ほど短い刀が認められた。(刀身とは刃の長さ。4寸=約12㎝)

 剣は両手で持つものとされていたが、その修業は難しかった。しかし、片手で持つと以外にも簡単だった。

 谷崎は片腕剣法であった。その谷崎の指導を道場外から見物し、度肝を抜かれて入門して来た者達である。

 谷崎は片手の一刀流を教えるつもりはなかった。ところが谷崎は片腕であり、自然に片手の一刀流になっていた。

 入門者はそれを見て、全員が片手で持つ一刀流の教えを請うて来た。あれなら自分にも出来ると思ったのだ。

 入門者は武士は少なく、ほぼ全員が町人と職人であった。持てる刀は刀身2尺以下の道中差しと決まっていた。

 短くしかもその分少し軽い。両手で持つ必要はなかった。片手で振ればそれだけ早く振り回すことが出来た。

 谷崎は道中差しに合わせ、竹刀や木刀を短くして片手で持たせた。入門者は子供が遊ぶようにどんどん上達した。

 道場は評判を呼んだ。深川だけでなく近隣から多くの入門者が押し寄せた。門下生は2倍の2百人を超えた。

 指導刻限を一刻半として、午前午後合わせて4時限にした。さらに奇数日生と偶数日生に分けて指導した。

 道場の広さは30人規模である。門下生はこれ以上増やせない。新規入門者は入門待ちとさせた。

 巷では片腕一刀流と言われ大盛況である。道場破りが目を付けた。ほぼ毎日看板を狙って不逞の輩が挑戦に来た。

 谷崎が直接対戦した。相手を容赦しなかった。腕の骨や肩の骨を折られた。

 ひと月もしないうちに道場破りは来なくなった。それも評判になり、入門希望者がさらに押し掛けた。

 深川一刀流は通称片腕一刀流と呼ばれるようになった。
塾長辺見は、一向に気にしなかった。

 それどころか、中庭に道場を建設させた。現在道場の倍近い50人規模の大きな道場である。ひと月で完成した。

 辺見は谷崎が早苗と所帯を持ってからは、護り人の仕事はさせなかった。夫婦は睦まじい日々を過ごしていた。

 一年後、二人目の子供が生まれた。待望の男の子であった。一刀と名付けた。

 親馬鹿か、歩き出すと同時に棒切れを持たせた。早苗は危ないと取り上げた。一刀は返して貰う迄大声で泣いた。

 早苗は一刀から目が離せなかった。

「あなた、良い加減にして下さい。もう少し大きくなってからにして下さい」

「一刀の何よりのおもちゃだ。自ら勧んでのこと、放って置け」

「そんなことおっしゃって、初めからあなたが持たせたのですよ」

 言いながら、一刀の棒切れを取り上げた。一刀が大泣きする。すぐに泣き止んだ。

 見ると、その棒切れを美鈴が黙って手渡した。一刀はすぐに泣き止んだ。美鈴はやっと3歳になったばかりである。

「美鈴、優しいお姉ちゃんだな。偉い!良い子だ」

 それを見た早苗は黙って奥へ引っ込んだ。谷崎はしまったと思った。怒らせてしまった。今夜は諦めるしかない。

 谷崎家はいつの間にか早苗の言動で決まるようになっていた。とは言え、それが順風満帆の舵取りになっていた。
                      終わり
次回は続編『片腕一刀流』を6月15日朝10時に掲載します