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        護り屋異聞記 22.

 
 次の朝から早苗が朝食を届けに来た。洗濯と夕食は近所の女房達が交代でしていた。

 新蔵は谷崎の片腕が無いのを見て早苗に言いつけた。しかし近所の女房達が手伝っていると聞いてがっかりした。

 残されたのは朝食であった。朝は女房達は亭主や子供に大忙しである。それに谷崎の朝は早かったり遅かったり。

 女房達には谷崎自身が断ったのである。早苗は嬉しそうに顔に喜びをいっぱいにして、

「明日から、わたくしがお持ち致します」

 谷崎は断れなかった。翌朝、暁7ツ半(5時)に起き出すと顔を洗いに井戸端へ行き、戻ると掃除を始めた。

 なぜか浮き浮きしていた。書見台を出すと久しぶりに漢書を開いた。しばらくすると6つ半(7時)の鐘が鳴った。

「おはようございます」

 引き戸の前で、澄んだ艶のある声が聞こえて来た。谷崎は立ち上がると引き戸を開けた。

 目の前に早苗がにっこりと微笑んでいる。瞬間、谷崎の胸はどきどきして来た。何か言おうにも言葉が出ない。

 結い直した高島田。小さな唇に薄く引いた赤い紅の色、涼しく澄んだ鈴のようなつぶらな目。美しさが匂うようだ。

「おはよう・・・」

 やっと声が出た。茫然としている谷崎に、

「どうかいたしましたか?お早かったでしょうか?」

「いや、待ちかねていた。身共が持とう」

「遅くなりました。明日は早くお持ち致します」

 盆を胸前に持っている。左手で盆を巻くように抱え、右手を添えている。谷崎が受け取ろうと両手を出した。

「いえ、大丈夫です。どちらへ置きましょうか?」

「ここで良い。ありがとう」

 上がり框の畳を指さす。ぷーんと味噌汁の匂いが漂って来た。早苗はそっと置いた。谷崎はぼーっとして見ている。

 盆にはめざしの皿と野菜の煮物の小鉢とぬか漬け、大盛りのご飯に味噌汁が並んでいる。

「後でお茶をお持ちします」

 早苗はにっこり微笑みながら言う。その微笑みに谷崎はやっと我に返った。

「いや、大丈夫だ。お湯は沸かしてある。うまそうだ。早速いただきます」

「どうぞ、お召し上がりください。今、お茶の用意をさせていただきます。入ってもよろしいですか?」

「すまないね。よろしくお願いします」

 早苗はかまどの茶釜から湯を注ぎお茶を持って行った。

「ご馳走様。おいしかった。朝ごはんを食べるのは久しぶりです」

「えっ、もうお済ですか?」

「早食いでね。それとこれから出かけて来ます」

 出かけるにはまだ四半刻も先。話すことが無いのである。顔を合わす度に谷崎の胸がどきどきと高鳴る。

「申し訳ありませんでした。明日は早くお持ち致します」

「申し訳ないのはこちらの方です。明日も良いのですか?」

「もちろんです。毎朝お持ち致します」

「それではお言葉に甘えてよろしくお願いします。刻は今朝と同じ頃だと助かります」

 早苗はお茶を出すとお盆を持って帰って行った。

 谷崎は言いようのない寂しさに襲われ、狭い部屋ががらーんと広く感じられた。こんなことは初めてである。

 長年の一人暮らし、慣れているはずである。しかし座っていられなかった。まだ早いが護り屋へ出かけて行った。


 早苗は自分の長屋に戻った。引き戸を開けると、

「届けて来たのか」

 引き戸を開けると、新蔵が待っていたかのように言う。

「はい、今、お食事を届けて来ました」

「谷崎殿は起きていたか」

「はい、朝はお出かけになるようで、早くから起きていらっしゃるようでした」

「谷崎殿は片手が不自由のようだ。何かとお手伝いをして上げたら良い」

「はい、わかりました」

 早苗は父の言葉に嬉しくなった。全てに厳格な父が相手が男であるにも関わらず、こんなことを言ったのは初めてである。

 人には相性と言うものがある。新蔵は谷崎を見て、一目で気心が知れた友人のような気持になった。



 稽古着に着替え道場に入って行くと、7、8人の塾生が一人稽古をしていた。谷崎に気付くと口々に挨拶をした。

 谷崎は千本素振りを3回繰り返した。額から滝のように汗が流れ出た。道着も絞るような汗に満ちていた。

 ようやく無心になった。早苗の顔が消えていた。そこに、ふと先日の鯉口が切れなかったことが思い浮かんだ。

 咄嗟に鞘のまま対戦したが、剣は速さにおいて鈍かった。相手が互角以上であれば斬られていたであろう。

 どんなに訓練を積んでも限界を悟った。あの日は運が良かったのだ。

 夕7つ(16時)塾生の指導を終えると深川の刀剣屋を訪れ、鯉口を省いた鞘を注文した。

 刀剣屋の親爺は奇妙な顔をしたが、請け負った。次の護りが5日後である。

 急ぐと言うと、3日で仕上げると言う。刀は預かると言うので、先日の護りでの鞘の傷みも直して貰うことにした。

 代用の刀は腰にしっくり来ない。なんとなく違和感がある。思いながら歩いていると、焼き団子の良い匂いがする。

 早苗の顔が浮かんだ。会いたい。良い口実になる。お土産に買って行くことにした。6本の二包みを買った。

 もう一つの包みは、夕飯を届けてくれる女房への土産にする。長屋に帰ると一包みを置いて早苗宅へ向かった。

「ごめん、谷崎です」

 引き戸を叩くと「はい」と嬉しそうな声で早苗が出て来た。その声まで変わる早苗に新蔵は驚いて目を凝らした。

「これ、団子です。どうぞ!」

 早苗の顔を見ると、なぜか緊張してぶっきらぼうな言い方である。

「ありがとうございます。わたくし大好きなんですの」

「それは良かった。富岡八幡宮の近くで匂いにつられて買って来ました」

 渡すと直ぐ帰ろうとする。顔を見ただけで胸が苦しくなった。どうしたのだろう。

「どうぞお上がり下さい。一緒にいただきましょう」

「いや、これから風呂に行って来る」

「谷崎殿、風呂は逃げません。ちょこっと上がって下され、さ、どうぞ上がって下され」

 新蔵も立ち上がり、一緒になって上がれと言う。そこまでされたら帰るわけにはいかないと谷崎は上がった。
                       つづく
次回は4月13日朝10時に掲載します